ディズニーランド(オリエンタルランド)誕生と成功の秘訣を解説

皆さんこんにちは、くみちょーです。

東京ディズニーランドには、行ったことありますか?

東京ディズニーランドと東京ディズニーシーには、1日にそれぞれ3~7万人が来園するとようです。しかも、顧客の9割はリピーターで、年間1000万人以上が来園。世界で一番成功しているテーマパークのひとつとして知られています。

今回は、そんな東京ディズニーランドの立ち上げやオリエンタルランドについて紹介したいと思います。

 

事業内容

オリエンタルランドは、東京ディズニーランド・シーを中心に、併設するホテルや商業施設などを運営する企業を統括しています。ディズニーランドの入園者数は世界有数で年間1000万人以上。

でも、売り上げのすべてがオリエンタルランドになるのではありません。東京ディズニーリゾートで販売されているキャラクターの著作権や版権ビジネスは、全てウォルト・ディズニー・ジャパン。アトラクションやショーの企画に関しては、アメリカのディズニー・パークス・エクスペリエンス・プロダクツ及びディズニーの子会社であるウォルト・ディズニー・アトラクションズ・ジャパンが担当しています。

従業員数は3400人以上いるのですが、キャストと呼ばれるアルバイトさんなどが2万人近くいて、ディズニーリゾートの運営を支えています。

売上高はなんと4600億円以上、利益も600億円以上あるそうです。

【従業員数】
社員  3,411名
準社員 19,697名
※2019年4月1日時点

【業績】
売上高  464,450百万円
営業利益  96,862百万円
経常利益  98,062百万円
当期純利益   62,217百万円
(2020年3月期)

【大株主】
京成電鉄株式会社
三井不動産株式会社
千葉県

▼歴史

オリエンタルランドの歴史を紹介しましょう。

設立は1960年(昭和35年)7月11日。当時、京成電鉄が千葉県浦安沖を埋め立てて、商業地・住宅地の開発と大規模レジャー施設を計画していました。自社開発を計画していたものの、銀行を含めて信用を担保できずに、三井不動産などに声をかけました。その時の、レジャー施設の仮の名前がオリエンタルランドだったのですが、これがそのまま会社名となっています。当時は京成電鉄と三井不動産が2大株主で、両社から多くの役職員が出向していました。

ちなみに、オリエンタルランドは、アメリカのディズニーによる出資や、資本協力、株式持ち合いなど資本提携は行われていません。投資家情報によると「世界で唯一、ディズニーとの資本関係が一切ないディズニーリゾート事業運営会社である」と公表されています。

創業社長となった京成電鉄の川崎千春社長は、当時運営していた谷津遊園拡張の際にバラ園を新設する構想を練っていて、そのバラを買い付けにアメリカに出張した時に、開業間もないディズニーランドを訪れたそうです。そのことがディズニーランドを誘致するというきっかけとなりました。

でも、埋め立て事業は、漁業協同組合との補償交渉が絡むため大変でした。しかし、三井不動産社長の江戸英雄氏の推薦で入社した高橋政知さんという人が優秀でした。彼は名門の家の生まれで、東大の卒論を英語で書くほどのエリート。高橋氏の活躍もあって、漁民への補償や千葉県からの土地払い下げまでは順調に進んでいきました。

しかし、三井不動産自体は住宅等の土地開発を第一に考えており、当初ディズニーランド招致には反対の立場をとっていました、そのため、招致を妨害することもしばしばあったようです。同時期に、三菱グループでも三菱地所が富士山の麓にディズニーランドを招致しようとしていました。

三井不動産は三菱地所との誘致合戦に競り勝ち、ディズニーとの交渉は1974年に開始。しかし、先行して開園していた奈良ドリームランドの著作権侵害問題の影響もあり、最初はディズニーから門前払いに近い扱いだったそうです。

当初ディズニー側から提示された条件は、ディズニーは建設費・運営費等を一切支払わず、ロイヤルティとして売り上げの10%を回収するというもの。これは、当時の日本の常識からは法外だったそうです。交渉は何度も決裂寸前になるほどで、一時は関係修復も危ぶまれる状況にまで陥ったそうです。最終的には、京成電鉄は三井不動産の意向を無視するかたちで、条件を飲んだのだとか。

そんな苦労もありながら、1979年4月30日、ようやくウォルト・ディズニー・プロダクション(後のディズニー・エンタプライゼズ)との業務提携を結びました。

その後、ディズニーによる技術やノウハウ提供を受け、1983年4月15日東京ディズニーランドが開園を迎えました。ここまで創業から23年目という、非常に長い道のりだったのです。

しかし、開園当日は雨が降るという不運に見舞われてしまい、初日の来場者数は1万8063人でした。それでも、初年度の来園者数は1036万人で、会社としての目標を達成したそうです。

開園5周年目の1988年に、舞浜地区全体の開発を目指した「第二パーク構想」について発表。米国ディズニーがオリエンタルランドに対して提案したものです。これには、アメリカのディズニーとの間で結んだ契約の白紙撤回や違約金の支払いなどの解決しなければならない問題が数多く存在し、両社の長時間の協議・調整を必要としました。

そんな最中の1996年12月11日に、オリエンタルランドは、東証一部に上場を果たします。

第二パークの建設は、開園15周年のタイミングで着工。2000年には3つのホテルが開業。2001年に東京ディズニーシーとパーク一体型ホテル「東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ」が開業し、東京ディズニーリゾートが正式に開業。最終的な東京版ディズニーワールド構想を仕上げるには、着工から10年もの歳月を要する事となりました。

2002年には、東京ディズニーランド、東京ディズニーシーと合わせて3億人目の入園者が来園。2006年には4億人。2010年には5億人。待ち時間は5時間のアトラクションもあるほどの人気テーマパークへ成長しました。日本のディズニーリゾートは、世界のディズニーパークの中で、精緻なマニュアルを一番忠実に実施していると評されているそうです。

成功の秘訣

そんなディズニーリゾート成功の秘訣は、主に3つあると思います。

1.非日常

ディズニーリゾートの特徴として、日常性を忘れさせる他にはない独特の非日常的な空間になっています。遊園地の施設部分を敷地全体の約6割として、現実世界との中間距離をとることが、無理なく異空間へ入ることの手助けとなっているのだとか。

そして、外の日常空間と遮断しておくため、外が見えないように、周囲にクラシックな建物や樹木があります。また、バックステージを見せないために、施設と外部をつなげる「地下トンネル」があることも有名です。つまり、非日常的な世界を演出するために、日常空間と画するような建設設計が施されているのです。

パーク内は農学博士の称号を取得している人が造園関係を担当していて、1年中季節の変化を感じさせないために、冬でも花を絶やさない状態にできるような高度なワザを駆使しているのだとか。ちなみに、ディズニーには日本を代表する桜の木が1本もありません。これは、季節を感じさせるものはダメで、パークの中は常にエバーグリーンでなければいけないという考えに基づいているのだそうです。

2.アトラクション

ディズニーランドの目玉はやっぱりアトラクションですよね!このスケールが大きいことが特徴です。

何百億もの巨額の投資を行って、最新のエレクトロニクスの技術をふんだんに使い、人形や動物たちを本物そっくりに動かす。蒸気機関車や蒸気船も、極力本物を真似て造って、大きさもほぼ同じにするのが良いのだとか。

そして、ほぼ毎年、新規アトラクションを導入することで、リピーターを獲得。さすがに巨額の投資が必要となるので、できない年はパレードに投資を行う。いつまでたってもディズニーランドを完成させないことを魅力としているのだそうです。

3.レベルの高いサービス 

ディズニーランドといえば、キャストの良質なサービスが有名です。

サービスの基本理念は、親しさと礼儀正しさを調和させることで、キャストが実際にサービスするときの行動規準として、安全性、礼儀正しさ、ショー、効率性をキーワードとしたマニュアルが職種ごとに「こんな時はこうする」と事細かく書かれているのだそうです。つまりマニュアルを読むだけで、サービス力が身につくということですね。

例えば、キャストは「いらっしゃいませ」とは言わず、原則「こんにちは」と迎えるのだそうです。これは「いらっしゃいませ」とキャストに言われてもゲストには返す言葉がなく、会話が成立しないためだとか。

そして、パークを徹底して綺麗に保つ努力と仕組みもできています。清掃チームは5人で一組となり、15分で1周していて、すべてのキャストはゴミを見つけたら直ちに清掃。「1つのごみが全体を汚くする」という理念をウォルトが持っていたことに由来していて、赤ちゃんが這い歩きしても安全なようにと教育されているのだそうです。

ゴミ箱にも工夫があって、中身が見えないようにポスト型にしています。

閉園後には夜勤の「ナイトカストーディアル・キャスト」が担当。閉園直後の0時から開園直前の7時まで、パークの道路すべてを自営の浄水場で再生された水で水洗いしています。

その他

その他にも成功した要因はたくさんあります。

ディズニーランドが開園した1980年代は、日本経済が発展し、週休2日になって休日が増えたことで、レジャー施設が人気になった時代でした。

舞浜という立地条件も良くて、日本橋から直線で10㎞。都市部から少し移動するだけで「異空間」に入っていけるという、ゲストの気持ちをうまく切り替える場所と時間なのだそうです。

失敗談

2003年には、スペースマウンテンで脱輪事故が発生。翌年2月まで運転中止となってしまいました。

2012年には、レイジングスピリッツで安全バーが開いたまま動きだしてしまい、乗客が2週間程度の怪我を負う転落事故も発生してしまっています。

豆知識

ディズニーランドの豆知識を紹介します。

10年前に手品師の知り合いに聞いた話ですが、ミッキーの中の人は女性という噂で、7人のキャストが担当しているのだそうです。

あとは、怖い話もたくさんありますよね。自己があったスペースマウンテンの天井には、お札がびっしりと貼られていたり、ホーンテッドマンションの無限回廊の奥には、女の子が立っているとか、幽霊話もたくさんあります。

あとは、ディズニーランド内で万引きしても捕まらないという話。これは、ある意味本当だけど、実際はパークを出た途端に「夢の国はここまでだよ」と言われて捕まるのだそうです。

ちなみに、ディズニーランドといえば、シンデレラ城が象徴的ですが、実は日本とカリフォルニアだけにしかないそうです。これだけ人気で事業を拡大しているオリエンタルランドですから、1993年には千葉県内の高額所得法人ランキングで千葉銀行を抜いて1位になりました。

そんなオリエンタルランドは、2011年の震災の時に総額2億円に加えて、復興支援リストバンドの収益と5月14日までの入場者数×300円を義援金として送ると発表したりと、災害支援にも積極的です。

誕生日のサプライズ

最後に、ディズニーランドの誕生日のサプライズを知っておいてください。

レストランでは「Happy Unbirthday(なんでもない日おめでとう)」というプレートが載っているホールケーキが食べられるのですが、本当に誕生日の方は、キャストさんに伝えると、プレートを「Happy Birthday」に変えてくれます。

「ヴェネツィアン・ゴンドラ」では、誕生日だということを伝えると、運河を優雅に旅している間にバースデーソングを歌ってくれる。

そして、女性向けのプレゼントとして名前入りのガラスの靴を用意することもできます。シンデレラ城に泊まれるという話もあったりするのだけど、フロリダのディズニーランドだけしか泊まれないみたいです。でも、もしかしたらサプライズで泊まれるなんてこともあるのかもしれません。

株価に関して

最後に、投資家としてオリエンタルランドの株価を見ておきましょう。

オリエンタルランドの株価は、2013年からアベノミクスの波に乗って大きく上昇。2019年には、上場から8倍となる16980円を付けました。

時価総額は5兆円突破!売上高は4600億円。経常利益が1000億円規模の企業になっています。(2020年3月期)

株主優待では、「東京ディズニーランド」または「東京ディズニーシー」いずれかのパークで利用可能な1デーパスポートがもらえます。

長期保有として、人気の銘柄なので投資家として注目度は高いですね!

 

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ABOUTこの記事をかいた人

FX歴2009年~、株歴2015年~。その他、CFD、商品、オプション、仮想通貨まで幅広く取引しています。金融メディア勤務で数多くの個人投資家ネットワークに参加。機関投資家から億トレまで、多くの投資家から得た知識を展開していきます。